おはようございます!

先日の台風の影響は大丈夫でしたか?
我が家ではグリーンカーテンが
風で地面に倒れたくらいでした。

今朝はちょっとだけですが
嬉しかったことをお話ししますね。

6月に発売となりました私のCD『ノスタルジア』を
ロンドンでお世話になった恩師数人にお送りし、
最近その感想がメールで送られてきました。
昨夜はロシア人の先生より
メッセージをいただきました。

こうこうこういうところが本当に良かった・・・
10年前からでは本当に成長したし、
ハイレベルパフォーマンスだよ。
詳しい内容は…keep it between us…
内緒にしておきますが、
誰からの感想やお褒めの言葉よりも
100倍、
いや、言葉では表現できないほど
嬉しかったです!

というのも、
その先生との出会いは14歳の頃。
当時お世話になっていた先生に
「国際コンクールで審査した若いロシア人、
今度日本で演奏会をするから
一時帰国中だったら聴きに行きなさい」
そんな勧めで東京公演に行き、
ピアノの技術も凄かったのですが、
それ以上に先生の音や
作り出す雰囲気に驚きました。

それから8年位が過ぎ、
22歳で大学院に入学する前に
大学でついていた先生より、
「もう私とも高校から7年と長いし、
他の先生に見てもらいたかったら
変わってもいいんだよ」
と言って下さったこともあり
偶然にもそのロシア人ピアニストの先生が
私の通っていた大学・大学院で
1年前より教え始まったのを知り、
希望を出しました。

ピアニストの先生ということで、
素晴らしい演奏を毎週聴けたこと、
レッスンに行くことが待ち遠しかったのを
今でも覚えています。

その頃の私は・・・
(アップしたお写真がちょうどその頃です!)
身体の重心を使って楽に演奏する
そんな奏法に変えようと猛特訓中。
それによって音質も変わるし
表現したいことがよりエフェクティブに表せる上、
必死に練習しなくても
高度なパッセージも簡単に弾けてしまう
などなど・・・いいことだらけ。
右利きを左利きに変える特訓みたいな感じで
何を弾いても思うようにコントロールができない
辛い時期を過ごしていました。

自分の頭で聞こえてくる理想の音、
頭では理解している腕、手首、
指の動きや身体の使い方
全てが上手くできない・・・
あまりにも思うように弾けず、
悔しくてレッスン中に1度だけ
泣き出したこともありました。
そんな時先生は優しく
「普通の人は
20年弾いてきたテクニックを
今変えようとは思わない。
それをやると決めて
必死に努力していることは素晴らしい。
体の中の動きを説明することは
不可能に近く、難しい。
先生のできることは・・・
弾いて見せて、私が目、耳で覚える。
動きと音が一致するってことは
こんな感じかなと色々試してみなさい」

先生は自分の技術全てを
分かりやすく
熱心に教えて下さいました。
いつも優しい笑顔で、
「5、6年の我慢だけれど、
絶対にやって良かった、
と笑顔で言える日が来るから」
といつも笑顔で励ましてくれました。

私の学生の頃の選曲はというと
自分の改善すべき点を伸ばせるものばかりで
試験で得意なものを弾いて
いい点数を取りたい・・・
というものではありませんでした。
チャレンジングなものでも
それを自分のものにできた時が嬉しかったです。

卒業前のコンチェルト試験で
この曲がいいんじゃないかと先生に勧められ
ラフマニノフの第1番を演奏しました。
辛い時期だったので、
少し不安もありましたが、
先生も審査席に座っていましたし、
安心して舞台に出て行ったのを覚えています。

カデンツァに入り気持ちもマックスになった時、
初めて出したい音や身体の動き、感情が一致して、
演奏していてうわーっと鳥肌が立ち涙がこみ上げてきました。
これが先生の言っていたセンセーションかと。

演奏後、
今までに見たことのない笑顔の先生が
「Phenomenal‼︎ 審査員全員もそう言ってたよ」と
強く抱きしめてくれました。

その後、卒演に向けてのレッスン中に
思うように体が言う事を聞いてくれず
「思っていることが演奏で表現できない、
こう弾きたいのに、こう表現したいのに
新しい身体の使い方だとできません!」
そんな時、
「コンチェルト試験の時を覚えてる?
あれがあなたの本当の実力だと
先生はわかっているよ。
これからも辛いトレーニングかもしれないけれど、
絶対に出来ると信じなさい」

その後も数年辛い時期は続きましたが、
先生の言ったように5、6年後が過ぎた頃より
新しいテクニックに慣れ、
理想の音楽に一歩近づけたかな、
辛かったことが嘘のように思える日がきました。

そんな時にいつも寄り添って、熱心に
インスピレーショナルな指導をして下さった先生には
本当に感謝しています。